新ジャンル「僕の考える幸福論①」

幸せ

新ジャンル立ち上げ!「僕の考える幸福論」

 どもども。僕ーBOKUです。最近、新しいブログジャンルを開拓してみようと思い、何が良いか迷っていました。かなり大雑把に考えていたところ、以下の2点を軸にしたいと思いました。

・自分が普段心がけていること

・誰かの役に立つ情報発信

うつ病になり、自分のことを振り返り、考える時間を取れている今だからこそ、思うところがありまして、自分自身の幸福度を上げるためにどうすれば良いのか、普段から考えております。

そこで

自分の心がけていること×誰かの役に立つ情報

ということで、”僕の考える幸福”を共有できたらと思います。1人でも多くの方のお役に立てれば良いかと。

 

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僕がうつ病になった経緯も投稿しておりますので、良ければ目を通していただけると嬉しいです。

◆鬱病を発症した話

鬱病を発症した話「新社会人へ踏み出す編」
25歳から26歳で大きな苦難にぶち当たり、そんな自分が今思っていることや今までに経験したことを記録に残しておいたら、将来見返した時に、俺ってこんなこと思ってたんだ。なんて思えるかなぁ〜と…それが将来の誕生日プレゼントになったりしたらラッキーだと思ったのだ。

また、僕の恋バナにも興味があればぜひぜひ

♥根暗男子の恋バナ

根暗男子の恋バナ「田舎の小学生編」
最初は自分の鉛筆を使って、午後になるとその鉛筆達はもう尖ってないわけです。尖った鉛筆を使いたい僕は、となりの女の子にお願いして、芯の尖った鉛筆を借りるわけ。

はじめに

 前述の通り、僕はうつ病を発症し、自分の人生を振り返り、立て直す時間を過ごしております。そこで僕は、

・自分の幸福度を上げるためには…

・上手く人生を過ごしていく術ってなんだろう…

・ベッドの上で死ぬ時、振り返って幸せだったと思える人生ってどんな感じなんだろう…

・そもそも何のため生きてるの…

そんなことばかり考えております。かなり、哲学的なことばかり考えており、

人によって答えも様々。

自分の考えを人に押し付けたいわけではないし、カルト宗教のようにお布施をねだりたいわけでもないんです。僕の思ったことを共有して誰か1人でも多くの方が幸せになってくれたら、僕も幸せってだけ。

そんなわけで、うつになり人生のどん底に落ちた僕とみなさんで幸せについて少しだけ考えていきましょう。

 

ーーー※ここで注意しておきたいことーーー

僕の考える幸せは”お金を散財すること”や、”誰しもが経験できないこと”など、”一般人には到底手の届かない幸せの求め方”ではないので、誰もが体験できないような幸せを追い求めている方は、手を止めてもらいここでサイトを閉じてもらえると貴重な時間を無駄にしないと思います。

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生きる意味とは…?

 幸せについて具体的に考える前に、まずは僕の頭の中を文字にしていこうと思います。

 僕はうつ病になる前から、幸せだとか生きる意味だとか結構な頻度で考えていました。確か小学校4年生の時に、父にこんな質問をした記憶があります。

小4僕)「ねぇねぇ、人って何のために生きてるの?」

父)「何のためだろうね…?これからゆっくり考えていけば良いんじゃない?哲学という学問がそういうこと考えるよね!」

そう言われて、結局答えを聞けぬまま、この歳になり、未だに生きる意味を見つけられていない僕。

今思うのは、生きている間に生きている意味を見出せる人って結構少数で、見つけたとしても時間が経てばその答えは変化するのだと思う。

例えば、

子供が生まれたばかりの人であれば、子供のため、家族のために生きるだろうし、

自分の熱中しているものがあるのであれば、それのために生きている。

そうやって生きていき、最終的に死ぬ直前に自分の生きていた意味を振り返ることができた時に答えが見つかるのだと、そう思う。

その答えが良いものなのか、悪いものなのか、それは今の自分、そして未来の自分の行動や考え方が大きく影響してくると思うのである。

だからこそ、幸せだと思える時間を少しずつ積み重ねていきたい。

そうやって死ぬ直前に、積み立ててきた幸せ

(今話題の積み立てnisaとかけて、幸せnisaなんてどうだろう。ちなみにnisaは少額投資非課税制度のことだから、全然意味がわからないんだが、もっと良い語呂合わせがあるよって方はコメントで教えて欲しい!)

が大きな幸せになっているのだと、そう思う。

富や名声があると確実に幸せなのか…??

 お金が有り余るほどある人。だれにでも名前や顔が知れ渡っている有名人。

そんな人たちは確実に幸せなのだろうか…?

確かにお金や名声があるに越したことはない。それは事実だろう。しかし、それがあれば確実に幸せだと言い切ることはできないと僕は思う。

 

ーー∴事例1ーー

 2018年にヒットしたボヘミアン・ラプソディ。有名なバンドQueenの始まりから最盛期までを描いた映画で、見たことあるという人も多いのではないだろうが。映画が進むにつれて、バンドも有名になっていき、バンドの中心人物だったフレディはお鼻が天井を突き抜けるほどの天狗状態。フレディの周りに絶えず人はいるものの、それはフレディの富や名声に集まってきた人たち。本当に大切な人たちはどんどんと遠ざかっていくというストーリーになっていましたよね。

ーー∴事例2ーー

 2015年にノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のアンガス・ディートン教授は、年収と幸福度の関係について興味深い研究結果を報告している。

 年収が7.5万ドル(約800万円)を超えるとそれ以降は、年収と幸福度の相関があまり見られないという結果を報告している。年収800万円までは年収が上がるに従い幸福度が上昇するが、それ以降は年収が増えても幸福度はあまり変わらないということだそうだ。(まぁ、サラリーマンの平均年収が400万円と言われるこのご時世で年収800万円は多いようにも感じますが…)

 

この2つの事例からも、富と名声があれば確実に幸せになれるとは言い切ることは難しそう。

 

平凡な一般人の幸福度を上げるために

 うつ病になり、人生のどん底に立たされた僕が、ベッドの上で最期を迎える時に、

「僕の人生最高だった」

と思えるように、どうすれば良いのか。ごく平凡な一般人の僕が考える幸せnisa の積み立て方を紹介していきたいと思う。

締めくくり

 今回はここまで。新ジャンル”僕の考える幸福論”を立ち上げる回でした。中身はまだ何もないのですが、内容ある投稿をぼちぼちアップいていきたいと思います。お時間あれば、お越しください。

以上、ここまで読んでくれてありがとう。これが、あなたの特別な時間になってもらえたら嬉しい。それでは、また!

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