根暗男子の恋バナ 第九話
どもども。お読みいただきありがとうございます。「初恋の話」ということで根暗男子の恋バナというジャンルで投稿しています。この話が初めての方、投稿順にリンクを貼っていますので、ぜひぜひ読んでみてください!
♥初恋の話
第八話「制服ッ!!?part2、続の続の続の続の続:中学生編」
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「鬱病になった話」という投稿もしています。まだ、それ読んでないよって方は見ていただけると嬉しいです!
♦鬱病になった話
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うつ病を患い、人生どん底から考える幸せについて共有するジャンルも投稿しているので興味があればぜひ!
♠僕の考える幸福論
前回までのあらすじ
中学3年生、初恋の女の子Rさんと同じクラスになるという奇跡に遭遇し、課外活動/修学旅行の出し物で彼女の制服を着るという奇妙な体験に二度も遭遇する中学僕。こんなにも彼女への接点を作っておきながらも、全くと言っていいほど彼女との距離を縮められない中、中学最後の日を迎える…
卒業!!
彼女との出会いは、中学1年生なりたての自己紹介後の休み時間、ふと右を見た時だった。とても印象的な女の子だったことを覚えている。
そして中学2年生に上がり、クラスは離れ離れだったものの、人類の叡智を駆使した技術である電子メールを使った、メッセージのやり取りで、彼女と急接近。しかし…
”銃を向けて良いのは撃たれる覚悟がある者だけだ!”
なんて名言があるが、本当にその通りだと思う。電子メールにて友人伝いで振られるという結末に至る。
中学3年生になり、恋の炎も下火がかっていたころ、彼女と再び同じクラスになるのである。そこで、課外活動/修学旅行を通して、彼女の制服を着るという奇行を行い(これは合法ですよw、彼女の許可のもとで行っているので…)、少しづつではあるが接点を作っていた中学僕。
結局、これという進展はないまま中学最後の日である”卒業式”を迎えるのであった。
ここまで、回想を書いたのは良いものの、あまり中学卒業式のことを覚えていない今僕なのである…
(大変、申し訳ありません。アニメでよくある総集編だと思って末長く見守りください…)
今思えば、中学時代は様々な出来事があり、今に至るまでの僕という人格を形成する上でかなりの割合を占めていた気がする。
・人生初の恋に目覚め、
・無茶振りで人前で一発ギャグを強要され結果として良い方向に転び、
・中田敦彦さんのしくじり偉人伝を見て、人前で発表することへの憧れを持った。
・そして、部活動では入部動機は褒められたものではないが、最後までやりきり、
・中学の初めに嫌嫌入塾させられた塾の先生とは未だに連絡を取り合っているのである。
そう、まさしく自分という人格を形成し、そして未だに続くコミュニティーとの関わりを持つことができた。そういう意味では、僕にとっての中学時代はとても重要な時期なのである。
そういった経緯もあり、初恋というカテゴリだけを特出して覚えているというわけではないのだが、
(今後他のカテゴリについても触れていきたいと思う今日この頃。)
やはり、恋というものは人として生きていく上では避けては通れないものだと思うし、恋はしないよりもしたほうが良いと思える今僕なので、ここに記録を残しているのである。ここまで、読んでいる方がいるのであれば、本当に感謝したい。
卒業式ともなれば、大概のドラマや漫画だと、意を決して思いを寄せている人に対して想いを伝える場面が王道だと思うのだが、中学僕の場合は、全くと言っていいほどそんなことはなかった。今振り返れば、なぜなのだろうと疑問に思うのだが、理由は何点か考えられる。
その1:やはり、根暗男子!
もうこれに尽きると言っても過言ではない。否定のしようがないほど、根暗なのだ。こんなにも自分に対して自信を持って断言できることは珍しいのだが…
なぜこんなにも自信を持って言えるのかというと、未だに自分の根暗気質が随所に見られるからである。
誰かに喋りかけるにも、
僕)「僕なんかが話しかけても良いのだろうか、嫌な顔されたらどうしよう。」
なんて考える日々。そんな考えも相まって、卒業式の時ですら、Rさんへ声をかけることはできずに遠くから彼女のことを眺めることで精一杯だった中学僕。
その2:進学する高校が同じ
これも中学僕に想いを伝えることに歯止めをかけていた材料だったかもしれない。
「また4月になれば、彼女と同じ学校に通える。だから、今焦る必要はない!」
そんなことを考えながら、だいぶと微塵もない余裕をぶっこいていたのかもしれない…
生死の境目…
卒業式も無事終わって数日が経った頃、塾の卒業祝いの準備があるということで、呼び出された僕。ママチャリにのって目的地まで向かうのである。
道中、下り坂に差し掛かり、足の力は完全に抜き、ペダルに足を添えるだけ。時速にして15km/hぐらいは出ていただろうか。
季節にして3月後半になるものの寒かった記憶がある。向かい風をあびながら下っていった先には、一つのマフラーを二人で共有しながら、手をつなぎ、笑顔で喋って歩いてくる同い年くらいのカップルの姿が見えた。
中学卒業僕)「羨ましいな〜」
そんなことを想像しながら、いつかRさんと同じことがしたいという願望を抱きながら、坂を下っていく。
すぐに、以前通っていた小学校のグラウンドが目に入る。そこでは、以前所属していたサッカー部が練習に励んでいた。中学を卒業した僕。小学生時代の良い思い出/悪い思い出を思い出しながら、グランドを眺めていた。
そうしている間にも、自転車の車輪は回り続けている…
ふと、我にかえり首を前にもどす。
自転車前輪のすぐ先には、自動車が歩道に乗り上げられないようにしている、車止めポールがあった。
自動車訓練学校の教習ビデオで見せられる、事故に合う際の運転者のあのハッとした顔。(想像できる人がいるだろうか…)
おそらくそんな顔をしていたと思う。コンマ数秒の間に、必死にハンドルをずらし、方向転換を試みる。加えてブレーキを両手いっぱいで握りしめた。
そうしようとしていた記憶がある。
しかし、時速15〜20km/hも出ている自転車で目の前の車止めを避けられるような技術を持ってはいなかった中学卒業僕。
ーーーA few seconds later…ーーー
一瞬の出来事に何が起こったのか把握できなかった。
地面に手をつき、ふと考える。
なぜか後頭部が熱い…
おでこを何かが滴るような感覚がある…
おでこに手を当ててみると、赤なのか黒なのか見分けがつかない液体が手についた。
少し間を置き、自分の現状を再認識する。
僕は、自転車に乗り、時速15〜20km/hで車止めポールにぶつかり、前輪先端を軸にして一回転したのである。そうなると、サドルにお尻をのせている通常の状態であれば、自転車と一緒に一回転し、頭から地面に落ちることになる。
そう、僕は時速15〜20km/hで車止めポールにぶつかり、コンクリートに後頭部豪快ヘッドをかましたのである。
ドイツワールドカップ決勝、フランス対イタリア戦、ハーフタイムに頭突きをかまし、レッドカード一発退場となったジダン選手に引けを取らない、豪快な頭突きだったと思う。
それでも、蘭姉ちゃんのように無傷でコンクリートを破壊できるだけのパワーはなく、反作用により自分が痛みを負うというのが世の常。
僕は、後頭部を負傷したのである。その衝撃で、意識は朦朧とし、以前として状況を掴めないでいた僕は、四つんばいで少しずつ前へと進んでいた。
すると、子供の送り迎えで待っていた保護者、そして先ほどすれ違ったカップルが僕のそばへと駆けつけて、救急車を呼び、介護までしてくれた。
(朦朧とした意識のなかで確認できた人たちはこれだけだが、多くの人たちが僕を助けてくれたのだと思う。その節は大変ご迷惑をおかけしました。そして、命を救ってくださり本当にありがとうございました。)
一方で、なぜ人は良くない言葉をあんなにも聞き取れるのだろうか…
部活動中の女子学生A)「え、どうしたの…?!」
部活動中の女子学生B)「自転車で事故ったみたいだよ!」
部活動中の女子学生A)「うわっ!ださっ!」
野次馬の声は、未だに鮮明に覚えているのである。
そうして、意識朦朧としながら、救急車に運びこまれ、気づいた時には病院のベッドの上だった。
(よく、ドラマなんかで目にする光景だが、本当にこんなことがあるんだと驚きを隠せない僕w)
周囲では僕の意識確認をする看護師の声が響きわたる。
看護師)「大丈夫ですか?!声は聞こえますか?!」
その応答に答えながらも、意識が徐々に戻ってきた中学卒業僕。自分の現状をようやく認識し、ことの重大さに気づいた時、なぜだか目頭が熱くなり、頬を熱い液体が滴っていった。
中学卒業僕)「このまま僕は死んでしまうのだろうか…」
そう思うと、涙が止まらなかった。
そして次に思い浮かんだのは、家族のことや友人のことではなく、Rさんのことだった。
中学卒業僕)「あ〜このまま死んでしまうのか…こんな目に合うのであればRさんに告白しておけばよかった…」
そんなことをおもいながら、涙が頬を流れ落ち続けた。
一時間がすぎたあたりだったか…
母親が僕の元へと駆けつけてくれた。
僕母)「大丈夫だった!?」
その言葉を聞き、落ち着いていた涙がグッと溢れてきた。そして母親も安心したのか、涙を拭っている。
ーーーA few minutes later…ーーー
なんやかんやあり、研修医による後頭部縫合の痛みに耐えながら、事なきを得たのである。
そして、後頭部の縫合が解けないよう被り物をしながら高校の入学オリエンテーションへと向かうのであった…
僕が伝えたいこと
上記のとおり、中学1年生の時に恋におち、多くの接点は作っておきながらも全く距離を縮めることはできなかった中学僕。
不慮の事故にあい、一番初めに思い浮かべたことが
中学僕の心のうち)「Rさんへ思いを伝えれば良かった」
だったのにも関わらずだ。
そして、未だに自分の思いを人に伝えることが苦手であり、うつ病まで患ってしまった僕。
今になって振り返ってみると、
人として生きていくうえで、相手を尊重したうえで、自分の気持ちをうまく伝えることがとても重要なことだと思う。
特に学生時代の恋はとても貴重なものだから。告白して振られようが、周りに広められて”あーだこーだ”言われようが、全くもって心配する必要はないと思う。確かに失敗すれば恥ずかしい思いもするだろう。しかし、年をとって振り返ってみれば、その出来事は自分の中では武勇伝、他人は一切覚えていない出来事になっている。
そして、何もしないという選択肢を取れば、何も起きないし、未来永劫後悔する羽目になり、後の祭りへの参加が必須である。
だから、今これを読んでいる人で、思いを伝えたい人がいるのであれば、
(想い人に限らず、友人や両親、祖父母、日々お世話になっている人でも良い)
すぐにでも伝えた方が良いと思う。想いを伝えらて、嫌に思う人なんてそうそういないのだから。
以上、ここまで読んでくれてありがとう。これが、あなたの特別な時間になってもらえたら嬉しい。それでは、また!
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